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広島地方裁判所 昭和32年(行)21号 判決 1963年5月07日

原告 古寺こと 大内光枝

被告 日本専売公社

訴訟代理人 横山茂春 外六名

主文

原告が被告公社に勤務する職員であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

理由

一、原告は被告公社広島地方局装置課の職員であつたが、被告公社広島地方局長広田三郎は原告に対し昭和二五年一一月一八日に、原告は当時被告が定めた被告公社職員に対する排除基準である「企業内外の共産主義に同調して、被告の機密を漏洩するおそれがある者」に該当するなどの理由で原告を免職する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

二、そこで、先ず本件免職行為の性質について考えてみる。

右行為が行政行為であるか、或は私法上の行為であるかは日本専売公社法、公共企業体等労働関係法その他の実定法が公社と公社職員との間の勤務関係を上下服従の関係(極力支配の関係)すなわち公法関係として規定しているか、或は当事者対等の関係すなわち私法関係として規定しているかによつて決定されるべきものと考えられるので以下これらの実定法の規定につき検討を加えてみよう。

(一)  公社は従来国の行政機関によつて運営せられてきた国の専売事業の健全にして能率的な実施にあたることを目的として設立された公法上の法人(日本専売公社法第一条、第二条)であつて、その事業の性質からみて国の行政事務を担当することを本来の任務とする国の行政機関に属しないことは明らかであり、このことからしても公社とその職員間の勤務関係は国の行政機関を構成する国家公務員の国に対する関係と同一に論ずることはできない。のみならず公社がこのような公法人であることも公社職員の勤務関係の性質を決定する要素となるものではない。蓋し事業主体としての公社が公法的組織形態を有するか否かは後にも述べるとおり専ら国と公社との間で国が統制干渉を加える必要があるかどうかによつて定まる問題であつて、公社とその職員との間の勤務関係が公法関係でなければならないということとは直接に結びつかないからである。

(二)  次に、公社の資本金は全額政府の出資によるものであり(同法第四条)、公社は国の財政収入を目的とする企業体であつて(この点において直接に社会公共の利益を目的とする他の公共企業体と異なる。)、その予算および決算は国の予算および決算と直結しているから、国も公社の事業の運営について重大な利益関係をもち、これを規整する必要に迫られる。そこで、公社は大蔵大臣の監督下におかれ(同法第四四条、第四条の二、第四三条の二、第四三条の一四)、その総裁は大蔵大臣が任命し(同法第一二条)、その予算は大蔵大臣の検討および調整、ならびに閣議の決定を経た上国会に提出され(同法第三四条の二)、国の予算の議決の例によつて国会において議決され(同法第三七条)、その決算は会計検査院が検査する(同法第四三条の一〇)ことを建前としているのである。しかしながら、前記の必要性からいえば国は国と法人である公社との間の関係を規整し干渉すればたりるのであり、公社とその一般職員との間の関係にまで干渉を及ぼす必要はないのであるから、以上の各規定はその規定形式を合わせて考慮しても国と公社との間の関係を規律しているのにとどまるものと解するほかはない。

(三)  また、日本専売公社法は公社の一般職員については一般の公務員の場合と同様に、分限、懲戒、職務専念義務等の規定を設けている(第二二条ないし第二五条)けれども、この種の規定は一般私企業における就業規則等においてもしばしば見受けられるものであるから、それらは国が後見的役割を果してあらかじめ就業規則を法定化したものと考えるのが相当である。なるほど、被告が主張するように右各規定については就業規則に関する労働基準法第九〇条、第九二条等のような制約は設けられていない。しかしながら、公共企業体等労働関係法によれは、公社の一般職員は賃金その他の給与、労働時間、休憩、休日及び休暇に関する事項については勿論のこと、昇職、降職、転職、免職、休職、先任権及び懲戒の基準に関する事項についても当事者対等の立場で公社と交渉し、その内容を決定して労働協約を締結することができる(第八条)のであるから、前記の分限、懲戒の基準に関する事項についても当該法律関係の形成に参加することができるのである、しかも、協約締結に至らないときはその紛争解決のために調停委員会、又は仲裁委員会による調停又は仲裁の制度(同法第二七条以下)が設けられており、仲裁裁定に対して不服がある者は訴を提起して法律問題に限らず事実認定の点についても裁判所の裁判を受けることができるのに反し、一般公務員は特別権力関係内にあるから、その目的に必要な範囲内で団結権も制限され、公社職員のように当事者対等の立場における紛争解決方法をもたず、その分限、懲戒等は専ら法律又は人事院規則の定めるところに任されており、その意に反する不利益処分を受けたことに不服があるときでも人事院に対してその審査を請求することができるのにとどまり(国家公務員法第八九条ないし第九二条)、しかもその決定に対しては単に法律問題についてのみ裁判所に出訴することができるのにすぎない(同法第三条第五項)のである。

(四)  更に、公社の職員は法令により公務に従事するものとみなされる(日本専売公社法第一八条)けれども、それは罰則規定の適用その他職務の執行関係についてだけ公社の職員を公務員と同様に取り扱う趣旨であつて、それ以外に何らの意味をもたないものと解すべきである。このことは従来日本銀行法第一九条その地の法令に用いられている同様の文言が右と同じ趣旨に解されてきていることからみて疑いがない。

(五)  また、公共企業体等労働関係法は公務員と同様(国家公務員法第九八条第五項、地方公務員法第三七条参照)公社職員およびその組合について争議行為を禁止している(第一七条)。それは憲法第二八条にいわゆる団結権の制限ではあるけれども、国民の基本的人権は単に特別権力関係内にあることによつて制限を受けるばかりでなく、公共の福祉による要請によつても制限を受けるのであるから、右規定の存在によつて直ちに公社職員が特別権力関係内にあると断ずることはできない。なる程、公務員の場合は特別権力関係内にあるから一般統治関係におけるような団結権の保障を受けられないのであることは明らかであるけれども、だからといつて公社職員も同様特別権力関係内にあると即断することは許されないのである。否むしろ他の実定法の規定から特別権力関係内にあることが論定されない以上、公社職員に関する右の規定は国の財政収入をはかるという公共の福祉の要請に基づいてその争議権を制限したものと解するのが妥当である。

(六)  また、日本専売公社法第四九条以下には「訴願法、土地収用法その他政令で定める法令については政令の定めるところにより、公社を国の行政機関とみなしてこれらの法令を準用する。」とか、「失業保険法第七条の規定の適用については、公社の役員及び職員は、国に使用される者とみなす。」とかの規定があるけれども、これらはいずれも従来国の専売事業が純然たる国の行政機関によつて運営せられていたために、他の法令においては専売事業の主体を国の行政機関として規定し、その職員を国に使用される者と規定していたので、公社が右専売事業を引き継いだ後においても引き続きこれら他の法令を公社又は公社職員に適用することができるようにするために設けられた技術的規定にすぎず、しかも、これらの規定はいずれも公社と公社職員との間の勤務関係を規律しているものではないのである、このような規定があるからといつて公社職員の勤務関係が公務員のそれと同様に特別権力関係であるということはできない。

(七)  なお行政機関職員定員法(以下単に定員法という)附則の規定に基づいてなした公社職員の免職行為は公務関係として行政処分であると解すべきものとされている(国鉄職員についての最高裁昭和二九年九月一五日大法廷判決参照)が、これはむしろ例外の場合と認むべきである。すなわちこの規定は国家財政の緊急の必要から行政機構を合理化する政策の手段として大蔵省から公社に引き継がれることとなる公社職員についても一般の行政機関の職員の場合と同様に定員をこえる職員の身分関係を一方的に終了させる措置を定めたものであつて、その結果この規定に基づいて処分を行う公社総裁はこのような国家意志に基づいてこれを一方的に執行する行政庁たる地位にあると認められ、そのなす免職行為が行政庁の行政処分と同様に取扱われることになるものなのである。とすれば、かような特例的規定によつて公社職員の免職行為が行政処分と同様に取扱われる場合があるからといつて直ちに公社職員の勤務関係が一般的に公法関係であると論断することができないことはいうをまたない。

以上の点を総合すると、結局公社職員の身分は実定法上公務員のそれと同一視することはできないが、そうかといつて一般私企業の従業員のそれとも同一視することのできないものであつて、両者の中間的性格を帯びるものと考えられる。公社職員がそのうな身分を有している理由は、本来公社は専売事業の実施という行政の非権力的作用、特に経済的作用を独立採算制によつて行う企業であるから、その事業の性質からみてこれを私企業に準じて扱つて差し支えないものであるが、国がその財政的収入を目的として専売事業を独占している建前上この国家独占を確保するために一定の範囲で公社職員を公務員に準ずるような規定を設けたためにほかならない。しかしながら、先に検討したようにその公法的規律の対象となつた事項はいずれも公社の事業運営面に関するすのにすぎないのであり、公社内部における公社職員の勤務関係自体を特別権力関係におく必要は通常認められないし、またこれを特別権力関係においたと認められる一般的規定もないのであるから(定員法附則の規定が例外的規定であることは前述のとおり)実定法は一般的には公社内部における公社職員の勤務関係について一般私企業における従業員のそれに準じ、これを対等な当事者間の私法関係として規律しているものと解するのが相当である。

従つて、本件免職行為(それが定員法附則の規定による特別のものでないことは弁論の全趣旨から明らかである)は私法上の行為であるといわなければならない。

三、次に連合国最高司令官が昭和二五年五月三日付声明ならびに同年六月六日付、同月七日付、同月二六日付、同年七月一八日付各内閣総理大臣宛書簡によつて日本共産党およびその同調者が国際的連携の下に日本の社会秩序の破壊を企画し、そのためのせん動その他破壊的行為をなしていることを指摘して、公共的報道機関その他重要産業に対して日本共産党およびその同調者を排除すべきことを指示していたことは当裁判所に顧著な事実である。

四、 被告は、原告は日本共産党の同調者であつたから連合国最高司令官の前記指示に従いこれを免職した旨主張し、原告はこれを否認するので、以下原告が日本共産党の同調者であつたかどうかについて判断する。

(一)(抗弁事実一の(三)の(1) について)

原告が被告職員となる前に昭和一六年八月から同二三年八月まで東洋繊維株式会社三原工場に勤務していたこと、同工場において昭和二三年四月一七日から同年五月二七日までの四一日間にわたつて労働争議が行われたことは当事者間に争いがない。しかしながら、本件全証拠によつても右争議が日本共産党の指導の下に行われたこと、或は原告が右争議において積極的に活動したこと、又は当時原告が同僚から日本共産党に入党したと噂されたことを認めるにたりない。

(二)(抗弁事実一の(五)の(2) について)

原告が昭和二三年一一月に被告職員となつてから、組合の執行委員、婦人部長、青年婦人対策部次長を歴任したことは当事者間に争いがない。そして、本件弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五三号証の二、証人山田彦男および同石井新三の証言により真正に成立したものと認められる乙第八四号証、証人寺若定吉の証言により真正に成立したものと認められる乙第九一号証の二、証人剣持愛吉の証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証の二、ならびに証人福原徳和、同藤田昂、同山下静光の各証言によると、昭和二五年六月に株式会社日本製鋼所において労働争議が発生し、日本共産党員の相当数が右争議に参加して、その応援ないし指導に当つていたこと、広島電鉄株式会社において昭和二五年三月から同年八月にわたつて労働争議が行われたこと、当時組合は右各労働争議を原則的に支援する旨の決議を行つていたこと、原告はその頃組合委員会において同執行部に対し広島電鉄株式会社における争議を積極的に支援すべきではないかとの質問をしたが、同執行部から右会社の労働組合は組合とは行き方を異にしているので側面的支援しか行なわない旨の回答を受けてこれを了承していることを認めることができ、右認定を動かすにたりる証拠はない。しかしながら、広島電鉄株式会社の右争議が日本共産党の主謀にかかること、又は原告が昭和二五年六月頃組合委員会において株式会社日本製鋼所の争議を積極的に応援すべき旨強調したことは、前者については成立に争いのない乙第九三号証、証人福原徳和および同山下静光の各証言、後者については前記乙第八四号証以外にはこれを認めるにたりる証拠がなく、右乙第九三号証、証人福原徳和および同山下静光の各証言は証人吉野彰の証言と、右乙第八四号証は前記甲第一号証の二、証人藤田昂の証言および原告本人尋問の結果と比照していずれも採用することができない。そして、原告が組合の各種委員会において日本共産党との統一戦線による協同斗争を主唱したことは本件全証拠によつてもこれを認めることができない。

(三)(抗弁事実一の(三)の(3) について)

原告が就業時間中又は就業時間外において民主婦人協議会広島支部の会合に出席したことは当事者間に争いがない。しかし、右協議会が日本共産党の外廓団体であつて、原告が右協議会に個人として加入していた旨の証人寺若定吉および同山下静光の各証言は前記甲第一号証の二、証人平林剛、同斎藤一雄、同宮崎寅太、同山田芳子の各証言と対比して信用することができず、その他にこれを認めるにたりる証拠はない。

(四)(抗弁事実一の(三)の(4) について)

原告が職場内で右協議会の機関紙である民主婦人新聞を配布したことは当事者間に争いがないが、右協議会が日本共産党の外廓団体であることが認められないことは前項記載のとおりである。

(五)(抗弁事実一の(三)の(5) について)

原告が昭和二五年三月に被告公社広島地方局女子寮自治会委員が拒絶したのにもかかわらず同寮に日本共産党代議士苅田アサノを招いて寮委員に右代議士の話を聴講させた旨の証人山下静光の証言は証人山田芳子、同重田小澄の各証言、および原告本人尋問の結果と比照して信用することができず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

(六)(抗弁事実一の(三)の(6) について)

原告本人尋問の結果によると、原告は昭和二五年春頃約半月の間日本共産党の機関紙であるアカハタを継続して購入していたことを認めることができ、右認定を動かすにたりる証拠はない。しかしながら、原告本人尋問の結果によると、原告はアカハタを購入してはみたものの、金もなかつたし、余り興味も感じなかつたので、約半月の間購入しただけでその後の購入を取りやめたことが認められるし、更に同証拠によると、原告が右期間アカハタを購入したのは当時組合委員会でコミンフォルム、代々木命令、志賀意見書などという言葉が出ても原告はこれを理解することができず、ときにはそのために一部組合委員から失笑を買うことがあつたために共産主義又はその組織に関する知識を得ようとしてしたものであることが窺えないではないから、前記事実によつて直ちに原告が当時共産主義又は日本共産党を支持していたものと推認することはできない。その他被告は、原告は当時職場の内外において共産主義を謳歌宣伝していた旨主張するけれども、右事実は証人寺若定吉の証言を除いてはこれを認めるにたりる証拠がなく、右証言は証人藤田昂、同西村信子の各証言、および原告本人尋問の結果と対比して採用することができない。

(七)(抗弁事実一の(三)の(7) について)

原告が伊達雪江、宮本(旧姓唐川)時枝、新田友江と仲が良かつたことは当事者間に争いがない。そして、証人寺若定吉の証言により真正に成立したものと認められる乙第八二号証、成立に争いのない乙第八三号証、証人寺若定吉、同福原徳和、同渡辺民子の各証言および原告本人尋問の結果によると、原告は広島電鉄株式会社労働組合の婦人部長をしていた小西信子とともに昭和二五年三月頃広島電鉄株式会社で行なわれていた民主婦人協議会に出席していたこと、渡辺(旧姓井上)民子は日本共産党員であつて、昭和二五年四月二八日から同年一一月一四日までの間一四回にわたつて日本専売公社広島地方局を訪れてその都度約一〇分間づつ原告に面会していたこと、増岡敏和も日本共産党員であつて昭和二五年八月二日に右広島地方局を訪れて原告と面会していること、伊達雪江は昭和二四年一一月一日に右広島地方局を訪れて原告と面会していること、宮本(旧姓唐川)時枝は昭和二三年暮から同二五年まで原告と同居していて、昭和二四年一一月二日から翌年九月二九日までの間七回にわたつて右広島地方局を訪れて原告と面会していること、新田友江は昭和二五年六月三日から同年八月二三日までの間三回にわたつて右広島地方局を訪れて原告と面会していることを認めることができる。しかしながら、それ以上に、原告が小西信子、渡辺民子、増岡敏和、伊達雪江、宮本時枝、新田友江らと思想的に共鳴して同人らと親交を重ね、共産主義活動について協議していたこと、又は小西信子が日本共産党員であること、或は伊達雪江、宮本時枝、新田友江が共産主義の同調者であることを認めるにたりる証拠はない。ところで、前記甲第一号証の二、原告本人尋問の結果、証人藤田昂、同平林剛、同斎藤一雄、同宮崎寅太、同山田芳子の証言によると、原告は昭和二四年四月から全国専売局労働組合広島支部婦人部長を、同年六月から組合青年婦人対策部次長を、同二五年四月から組合委員、青年婦人対策部委員をそれぞれつとめていたこと、当時組合婦人部ないし青年婦人対策部は民主婦人協議会に加入し、原告は右婦人部の代表として協議会に出席していたこと、渡辺民子が前記のように原告と面会していたのは民主婦人協議会の機関紙である民主婦人新聞を右支部青年婦人対策部委員である原告に手交するためにすぎなかつたことが認められるから仮に小西信子が日本共産党員又はその同調者であるとしても原告が同人と民主婦人協議会に同席していたことや、原告が日本共産党員である渡辺民子および増岡敏和と受動的に面会していたことによつて、原告が共産主義の支持者であることを推認することはできない。

そして、以上に認定した事実を綜合しても、原告を共産主義の同調者であると断ずることは因難といわなければならない。従つて本件免職行為は前記連合国最高司令官の指示の範囲に該当しないから、いわゆるレッドパージとしては無効と認めざるをえない。

五、ところで、被告は、原告は勤務実績が悪く、その職務に必要な適格性を欠いていたと主張するので、この点について考えてみよう。

(一)  原告が昭和二三年一一月に被告公社に入社し、以来昭和二四年九月頃まで被告広島工場装置課に所属しながらその製造工場内で自働的に出来上つた煙草を紙箱に包装する機械の操作に従事し、同月頃から本件免職行為に至るまでは右工場内の一隅で煙草の包装紙にその製造年月日をゴム印で押捺する作業に従事していたことは当事者間に争いがない。

そして、証人山田彦男の証書により真正に成立したものと認められる乙第八四号証によれは、原告は組合委員をしていて組合の仕事のために席を離れることが多く、そのため前者の流れ作業に従事させることには支障があつたので、右のように後者の一人配置の作業場へ配置を転換されたものであることを認めることができる。

しかしながら、被告が主張するように原告が配置転換後の昭和二四年九月以降も作業時間中に職場秩序を乱すほどしばしば職場を離脱したことを認めるにたりる証拠はない。

(二)  次に、原告が被告の職場内でしばしば民主婦人新聞を同僚に配布したことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない乙第八六号証および証人寺若定吉の証言によると、日本専売公社就業規則第一四条には「職員は社内で印刷物等を配布し又は掲示をしようとするときは、あらかじめ、その印刷物等を提示して所属長の許可を受けなければならない。」と定められているのにかかわらず、原告はその所属長の許可を受けずに右新聞の配布をしていたことを認めることができ、右認定を覆えすにたりる証拠はない。

(三)  右各認定事実によれば原告の勤務成績は余り良好とはいえないかもしれないが、そうかといつて免職に値するほど悪いとは思われず、また原告がその職務に必要な適格性を欠くということもできないから、右理由に基づく被告の免職行為は日本専売公社法第二二条第一号第三号、および日本専売公社就業規則第五五条第一項第九号の適用を誤つたもので無効というべきである。

六、そこで、次に被告のいう権利失効の抗弁について考えてみる。

(一)  原告が本件免職行為後まもなく右行為を不服として日本専売公社広島地方局苦情処理共同調整会議に対し苦情処理申請をしたが、昭和二五年一一月二一日右会議の委員間の意見不一致により右会議は終了し、同会議はその頃その旨原告に通知したこと、その後原告は臨時苦情処理共同調整会議に対し、前同様苦情処理申請をしたが、昭和二六年二月九日右会議の委員間の意見不一致により右会議は終了し、同会議はその頃その旨原告に対し通知したこと、原告が当時所属していた全専売労働組合が昭和二六年四月一六日被告と臨時苦情処理共同調整会議の未解決事案に関する協定を締結したこと、その後本訴提起に至るまで原告が被告に対し何ら本件免職行為の効力を争う趣旨の申出も、訴提起もしなかつたことはいずれも当事者間に争いがない。

(二)  次に、証人剣持愛吉の証言、および同証言により真正に成立したものと認められる乙第八一号証によると、全専売労働組合は昭和二六年四月一六日被告との右協定において本件免職行為を承認したことを認めることができ、右認定を動かすにたりる証拠はない。

そして、当時の労働慣行として本件のような免職行為については被免職者の所属する労働組合が被免職者のために免職行為を争う措置を講じていたことは一応推定されるとみるのが相当であり、右認定を覆えすにたりる証拠はない。

(三)  更に、証人寺若定吉、同森新一の証言、および証人宮崎寅太の証言により真正に成立したものと認められる乙第八五号証、証人石井新三の証言により真正に成立したものと認められる乙第八七号証の二によれは、原告は被告公社広島地方局長広田三郎から昭和二五年一一月一八日に同局長室において免職辞令書、退職手当通知書、退職手当金五、三五五円、政府職員退職票、立入禁止通知書、共済組合給付金辞令書を受け取つたが、組合役員と相談した結果、その指示に従い、組合を通じて免職辞令返上の手配をし、かつ退職金は同月二九日組合書記長宮崎寅太が同局秘書課に持参して受領を求めたが、被告側において応じなかつたため同所の机の上に置いて帰つたことを認めることができる。右認定に反する証人山田芳子、同宮崎寅太の各証言および原告本人尋問の結果は前掲各証拠と対比して信用することができず、その他に右認定を覆えすにたりる証拠はない。そして、被告が昭和二六年三月二六日原告の退職手当金五、三五五円を広島法務局に供託し、原告が同年八月二一日右供託金の還付を受けたことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、原告が供託金の還付を受けたのは原告が当時病床にあつた母をかかえて生活費に困つていたのと、組合役員から組合が責任を持つから受け取るようにと勧告されたためであつて免職行為の効力を承諾してなしたものでないことを認めることができる。

(四)  また、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件免職行為を受けた後数回にわたつて就職先を変えたが、昭和二八年以来株式会社津田式ポンプ製作所に勤務していることを認めることができ、右認定を動かすにたりる証拠はない。

しかしながら、本件全証拠によつても被告が本件免職行為後原告が被告職員としても地位を失つたものとして後任者の採用、配置転換等を行つたこと、原告が株式会社津田式ポンプ製作所において原告が被告の職場へ復帰すれば得られるであろう給与と同程度の給与を受けていること、その他本訴を提起するについて特段の利益がないことを認めるにたりない。

(五)  そして、以上の認定事実を綜合しても、原告の本訴請求による権利行使は信義誠実の原則に反するということはできないから被告のいわゆる権利失効の抗弁は理由がないものといわなければならない。

蓋し、権利失効の原則とは、権利を有する者が長い間これを行使せず、そのため相手方においてその権利はもはや行使されないものと信頼すべき正当な事由を有するに至つた場合において、その遅延した権利の行使が信義誠実の原則に反すると認められるような特別の事情があるときはそのような権利を行使することは許されないことをいう。ところで被告が原告主張の日に免職辞令書、退職手当金等を受け取つたことは必ずしも免職行為の効力を承認したのによるものであるとは認められない(前記認定によつても原告はその組合を通じてこれらを被告に返還している)ばかりでなく、その後原告が前記認定のような事情の下で供託された金五、〇〇〇円余の退職手当金の還付を受けた行為が免職行為の効力を争う者として著しく不信義な行為であるとは考えられないし、また苦情処理共同調整会議による被免職者の苦情処理が奏効せず、後に被免職者の所属する労働組合が被免職者に対する免職行為を承認したとしてもその効果は直接被免職者に及ぶものでなく、しかもこの場合において被免職者が免職者に対して免職行為の効力を争う趣旨の申出をすること、又は公共企業体等労働関係法第二六条以下の規定に基づくあつせん、調停、或は仲裁の申請をなすことが被免職者の雇用契約上の権利の実現をはかる絶対有効な手段であるとは必ずしも考えられないから原告がこのような申請をしなかつたからといつて権利の行使を怠つたということはできない。更に被免職者が紛争を解決するために訴を提起するには相応の準備を要するのであるから、前記認定のような事情の下で原告が昭和二六年二月以降本訴提起に至るまで被告主張のような権利行使の方法をとらなかつたからといつて、原告がもはやその権利を行使しないであろうと信頼するのは正当ではない。そればかりでなく、本訴提起に至るまでの原告の窮迫した経済状態、ならびに本訴提起による権利行使によつて原告が得る利益とそれによつて被告が受ける損害とを比較衡量しても、原告の右のような遅延した権利の行使はまだ労働契約関係を支配する信義誠実の原則に照して不誠実であるとはいえないからである。

従つて、被告の権利失効の抗弁は採用することができない。

七、最后に被告の時効の抗弁について判断する。

原告の本件雇用契約上の権利は国に対する権利でもなく、また金銭の給付を目的とするものでもなく、しかも本件免職行為が私法上の行為であることは前述したとおりであるから、原告の本件雇用契約上の権利について会計法第三〇条を適用ないし類推適用することはできない。なお、原告の被告公社に対する給料債権は民法第一六九条所定の債権に該当するから五年の短期消滅時効にかかるけれども、原告の雇用契約上の地位自体は右給料債権とは別個独立の権利であるから、右権利について民法第一六九条を適用ないし類推適用することもできない。

従つて、被告の右抗弁も失当である。

八、ところで、日本専売公社法第二二条、第二四条は公社の解雇権を制限しているのであるから、以上のとおり本件について免職事由の存在することが認定されない以上、原告の不当労働行為の主張について判断するまでもなく、本件免職行為はその実質的理由を欠いて無効であり、従つて現在においても原告と被告との間には従来の雇用関係が存続しているものといわなければならない。

九、そこで、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 溝口節夫 倉橋良寿 池田憲義)

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